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メサイアの楽しみ方
12月13日から16日まで、久しぶりにスペインでメサイアを演奏してきました。オミクロン株が世間を騒がせ始めた時期にぎりぎりのタイミングで行われたツアーとなり、ペーパーワークやPCR検査に簡易検査の手続きなどで大変ストレスフルでもありました。それでも、団員全員、コロナの陽性検査結果が出ることもなく無事帰国することができ、ホッとしました。(イギリスへ戻って数日後にはスペインが英国からの入国を原則禁止したため、本当にギリギリのタイミングでした。) クリスマスといえばヘンデルのメサイア。日本でそう思っていらっしゃる方って、実質どのくらいいるのでしょう?年末の第九には全く及ばない、のが私の印象です。日本はキリスト教国でもありませんしね。 英語圏では、クリスマスといえばまずメサイアです。12月に入ると、途端に演奏依頼がメサイアのオンパレードになります。カナダに留学していた頃にも、何回かこの時期にメサイアを演奏した覚えがあります。 ですが、カナダでは何故か第二部の最後の曲、つまりハレルヤコーラスがプログラムの最後に来るように曲順が調整されていることがほとんどでした。つまり、第三部の名曲を抜粋して、第二部の間に差し込み、ハレルヤで終了、となっていて、第三部の多くの曲がカットされていました。 一方、イギリスではそんなことはなく、カットする曲はあるにしても(何しろ全て演奏すると長いので)、ちゃんと順番通りに演奏されます。ヘンデルはイギリスではほぼ自国の作曲家扱いなので、妥当なところしょう。 ところで、英語圏では、メサイアの演奏中不思議なことが起こります。 私が初めてカナダでメサイアの演奏を聴きに行った時のこと。ハレルヤコーラスが始まるやいなや、聴衆が客席から次々に起立したのです。郷に入っては郷に従え、ということで私も恐る恐る立ち上がったわけですが、後に、これは英語圏では普通のことで、どうやら『イギリスのジョージ二世が、ハレルヤコーラスの演奏に感動して起立した』ことに由来するらしいという説明を聞くことになりました。王様が立ち上がった場合、もちろん臣下一同が着席したままでいるわけにはいかず、全員が釣られて起立するわけです。・・・とはいうものの、実際には、本当にジョージ二世が感動のあまり起立したのか(単に座り疲れたとか、他の理由だったのかも知れない)、いやそもそも、ジョージ二世が演奏を聴く機会はあったのかなど、この由来に疑問は残ります。 由来はさておいても、長ーい演奏時間の中、しかも後半の半ばあたりで一度足を伸ばせる機会ということで(?)この習慣、英語圏ではなかなかにポピュラーです。イギリスでメサイアを演奏すると、ほぼ100%の確率で、ハレルヤ起立現象が起こります。 では、他の国ではどうなのか? 日本で学生時代にメサイアを演奏する機会がそういえば一度ありましたが、その時には聴衆の皆様は行儀良く最後まで座っていらっしゃいました。日本でも、時々ハレルヤ起立はあるようですが、なにぶん大学在学中に海外へ出てしまったため、日本の現状はよく知りません。 カナダでは起立現象が起きました。ほぼ名目上とはいえ、カナダの君主は一応エリザベス女王陛下、カナダドルには女王陛下が印刷されるような国ですので、まあ妥当かも知れません。ただし、立ち上がるスピードはイギリスほど早くなかった覚えがあります。(私のような新参者が多いお国柄だからかも知れません。) では、最近訪問したスペインはどうか。スペインは、多くのイギリス人が休暇を楽しむ国というばかりでなく、実は定年退職後に老後を過ごすことも多い国だそうです。熱心な信者も多いカトリック教国ということもあり、メサイアの演奏需要はとても高いといえます。しかも、聴くだけではなく、アマチュア合唱団がこぞって参加する、参加型メサイアが大変にポピュラー。イギリスから楽団とプロの室内合唱団を呼び寄せ、現地のアマチュア合唱団と共にコンサート、という形態で、私も過去数回、スペインへ行きました。(これには、メセナ活動を推奨されている大手銀行の資金援助がある、という要因も大きいと思います。) 結論から言うと、スペインではハレルヤ起立現象は起こりません。そういえば、ドイツ留学時代に一度メサイアを演奏したときも、誰も立ち上がりませんでした。もっとも、ドイツのクリスマス音楽はなんと言ってもバッハのクリスマス・オラトリオですので、そもそもメサイアは滅多に演奏されません。恐らく、大陸ヨーロッパではハレルヤ起立はあまり起きないのだと思います。 気がつけば私もイギリスへ移住して10年以上が経過し、英国スタイルのメサイアに随分慣らされました。ハレルヤ起立に関しては賛否両論あるようですが、私はこの習慣、別にいいんじゃないかと思っています。長いコンサートの中、堂々と足を伸ばす機会が持てるわけですし、ついでに、聴衆が能動的に起立することで、ちょっとでも『参加した』感を味わえているのではないかと勘ぐっています。日本で無理に実行するほどのことでもないとは思いますが、もし大多数が立ち上がるようなら、一緒に立ち上がってみても、バチは当たらないのではないでしょうか。