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弦の張力について
最近、弦の鳴りが悪い気がしたので、久しぶりに弦の張力について見直してみることにしたのが2週間前。2日目には、パンドラの箱を開けてしまったことに気がついたのでした・・・。
そもそも、バロック時代に使用されていた弦の太さについてのリサーチには諸説があり、全部をトライしようとすると金額的にも時間的にも大変なことになります。ヨーロッパの一部では、かなり太めのE線を使うかたが結構いらっしゃいますが、私の楽器で試してみると合わなかったので(そういえば5年くらい前にも同じようなことを試したと、その後思い出しました。)E線のゲージは据え置き、2週間かけて残りの弦をどうするか今調整中です。
ヨーロッパでは場所によってあまり普及していないようですが、イギリスでは公式にイコール・テンションを取り入れているアンサンブルがいくつかあり、それに少し近いイコール・フィール・テンションをもとに弦のゲージを決めていらっしゃる奏者がかなりいます。
聞いただけではなんのことやら分かりませんが、要するに弦の張力を各弦で均等にする、というのがイコール・テンションになります。ロンドン在住のオリバー・ウェッバーが以下のサイトで説明しています。
http://www.themonteverdiviolins.org/strings.html
ちなみに、モダン・ヴァイオリンの弦の張力はE線が最も高く、低い弦になるにつれて低く設定されています。お恥ずかしい話ですが、モダンヴァイオリンを専攻していた学生時代、楽器店で弦を購入する際に、弦にゲージが存在することは見ていたものの、実際にゲージを調節した経験はありませんでした。先生方や友人たちとも、弦のゲージについて議論する機会がなかったということは、当時はあまり重要視されていない要素だったということでしょう。現在でも、モダン楽器の弦のゲージについて意識していらっしゃる方はそう多く無いかと思います。
さて、肝心のイコール・テンションですが、ダウランドやレオポルド・モーツァルト(『ヴァイオリン奏法』の第1節の4に記述があります。)が提唱する理論によると、隣り合った弦(例えばA線とE線)の低い方の弦は、高い方の弦の1.5倍の太さであるべき、ということだそうです。つまり、E線のゲージが58なら、A線は87、D線は130、G線は195になるということですね。
ゲージ195のG線!!!
裸ガットにすると、ものすごく太いです。そもそも、弦が太すぎてテールピースの穴に入らない、という事態まで起こります。流石にちょっと弾きにくい、というのが私の感想です。私の同僚の多くも、さすがにここまで太いG線を使う方は少数派です。G線は巻線を使うにしても、D線だって130。なかなかの太さです。対応方法は2つ。
まず当たり前ですが、E線を細くしていけば全体の数値が下がります。E線のゲージを54にすれば、G線は180くらいですみます。・・・それでも180です。そして、ゲージ54のE線は、・・・当然、よく切れます。
そこで、1.5倍という過激な掛け算ではなく、少し緩めに行こう、なぜなら太めの弦は張り替えてからの伸び率が少し少ないし、指で押さえたときのフィーリングが違う。だから、掛け算の数値は1.43で良い!というのが一説。これについては、私も科学的、歴史的実証があるのか謎だと思っていますが、使いやすさからこの説を採用している方がいらっしゃいます。私も一時期使っていました。
上記の方法をイコール・フィールのシステムとして認めるかどうかはともかく、イコール・フィールの目指すところはそのまま、弦を押さえたときの感覚を各弦で均一にすることです。それをもう少し科学的にしたのが、イタリアのガット弦メーカーであるアクィラ社の提唱するイコールフィール。こちらは、実際にバロック時代の証言をもとに、弦の伸び率を考慮して実験を重ねた結果のようです。リンクはこちら。
ちなみに、アクィラ社のイコール・フィールは、“ノーマル“セットでゲージが64−91−124−180とあります。
一方で、ドミトリー・バディアロフは、イコール・テンションもイコール・フィールも、共に、歴史的、科学的に正しく無いのではないか、と言っているようです。弦の太さは確かに重要ですが、イコール・テンションの簡単な1.5倍や、イコール・フィールのシステムは、駒のないリュート向けであり、ヴァイオリンの駒やテールピースのカーブを考慮していない・・・。確かに、それはそうですよね。ページに数式が入って少しややこしいですが、彼の意見はこちら。
こうなってくると、自分の楽器の駒やテールピースの角度に合わせて数式を解く世界になってしまいます。とりあえず、まず自分の楽器で正確な数値を測るところからして、私には無理です。ということで、バディアロフ氏のアドバイスは、
“In order to balance the instrument in both the longitudinal tension and the downward pressure, the middle strings must be thinner and the outer strings must be thicker.“
「楽器の水平方向と下向きの張力のバランスを取るためには、中間弦は細めに、外側の弦は太めにしなければならない」
つまり、A線とD線は細めにし、E線とG線は太めにせよ、ということです。ただし、彼によれば、バロック時代に使われていたE線はイコール・テンション奏者が使うE線よりかなり太いゲージの70以上、だとのこと。バディアロフ氏は、『ヴァイオリンのE線はリュートの第4弦と同じ太さ』というメルセンヌの記述から、ゲージ82を試したそうです!実際にはE線は楽器に張ったあとに伸びてゲージ76になるということですが、これはかなりの太さですね。楽器によって合う、合わないがかなりありそうです。
しかしながら、実際には、ほとんどのガット弦メーカーがヴァイオリン向けのセットとしているのはE線のゲージが56ー64くらいで、70から設定しているところはまだ私は見かけたことがありません。恐らく、そこまでこだわる方はセットには手を出さず、個別に注文をかけるので特に必要がないのでしょう。
こうして見ると、私が弦のゲージを前回設定した頃に比べると新しい情報も増えてきました。当時のロンドンでは、細い弦から1.43をかけていくイコール・フィールが新しかったことを考えると、やはり情報は定期的にアップデートしなければ置いていかれるようです。そのうち、オリバー・ウェッバー氏にも、現在はどんな意見なのか聞いてみようと画策中です。先日、彼から『フランスではA=392というローテンションだったにもかかわらず、細めのE線を使用していた証拠が出てきた』というお話をちらと伺ったので、新しい情報もありそうです。もしこの話題に興味のある方がいらっしゃいましたらご一報ください。ブログにまとめてみようかと思います。
さて、これだけ情報が錯綜しているともうどうしていいか分からなくなりそうですが、私の持論は、楽器も奏者もそれぞれ個性があるのだから、色々試してみて自分と楽器にあったものを選んで良い、というもの。そもそもバロック時代には「スタンダード」などというものは存在しなかったわけですし、弦の質も均一でなかったりと、現代とは状況が違いました。細い弦は現在でもよく切れますが、太いE線を使った背景には、その方が切れにくい、という単純な理由もありそうです。リサーチによって日々新しい理論が出てくれば、それだけ多くの可能性を試すことができるというわけで、私たちは幸運です・・・多分。